メンタルについて、気楽に話してみませんか?

先日、あるアメリカ人の男性(Dさんとしておきます)と小一時間お話をしました。

Dさんとは仕事の所用などで時々にお話をする機会があります。そういう際に、挨拶かわりに、時々の時事ネタを話したりします。
先日の時事ネタは、数か月前に神奈川県相模原市で起こり、以来連日マスメディアなどで取り上げられている不幸な事件に関してでした。



社会として、心の病とどう向き合っていくのか

神奈川・相模原の事件については、お互いの間で必ずしも結論が得られたわけではないのですが、いろいろの点から話し合いました。

そのなかで、心の病を抱えて(あるいはいるかもしれない状態で)、心の状態のコントロールが必ずしも安定していない人たちと、社会において、どう向かい合っていくのかという話題になりました。

それは、今回の事件を起こした人が心の病を抱えているかもしれない、ということが一部報道からうかがえることからでもあります。

Dさんは言いました。

「誰にでも基本的人権があり、それは絶対に尊重されなければならない。一方で、今回の事件のようなことが起こると、心が安定していない状態の人たちについて、その行動を行政や病院がより厳しく管理・制限すべきだという議論が出てくるし、それもやむを得ないという気分にもなってくる。でも、それはやはりそういう人たちの基本的人権を犯すことになるのではないか…」

Dさんは、今アメリカで話題になっていることを教えてくれました。
それは、約35年近く前におこったレーガン大統領(当時)暗殺未遂事件の犯人が最近釈放されたことです。
レーガンさんは九死に一生を得て、その後回復し職務にもどり、2期8年の任期を勤め上げたのですが、彼の秘書(だったと思いますが)が彼をかばって重傷を負って、結果としてその後車いす生活になったように記憶しています。

当時から犯人に対して、多くの人々が反発を覚えていたそうです。また、メンタルの問題も指摘されていたこともあったようです。
そういう人物が刑期を終えて出てきたのですが、果たして社会復帰して大丈夫なのか。社会に復帰したとしても何か特別の対応を要するのではないか。そういう議論が起こっているようです。

Dさんは、
「日本もアメリカも、心が安定していない状態の人たちについて、特に、社会として、どう付き合い受け入れていくのか。…難しい問題だ」
と言っていました。

「お互いのメンタルについて気軽に話してみませんか」

さらに、Dさんは、次のように訊いてきました。

“Do you talk each other about your mental in Japan?”
(「日本人は、お互いにメンタルについてあまり話し合ったりしないのか?」)


Dさんによると、欧米では、日常的に自分たちのメンタルについて話し合ったりするけれど、日本ではあまりそうではないように見受ける。もし、そうだとしたらそれはなぜなのか?あるいは、それで大丈夫なのか?

私は返答に窮していると、Dさんは続けて言いました。

「日本社会もその長い歴史に基づいた独自性を有しながらも、一方でアメリカ的になってきている(アメリカナイズ)という面もあるかと思う。そういう意味で、欧米社会同様に、よりメンタルケアに関心を持ち、お互いにシェアしていく機会を持った方が良いのではないか…」
 
つまり、多くの日本人が、本当に自分たちのメンタルについて、身近で、話したりシェアしあっても良い状況にも関わらず、そうはしていない…というように一部の外国の方からは見受けられるということかと思います。


*Written by A.KOBAYASHI