哲学とはなにか・その1




前回の記事:「【自己紹介】 小林篤司」の中で、「哲学とはなにか」という問いには、いわゆる”正解”というものがないことをお話ししました。

ということは、あなたが導く「哲学とは?」という問いへの答えも、1つの答えといえるのではないでしょうか。

 「哲学」が扱っているテーマとは

前回、私は哲学について1つの信念を持っているとお話しました。それは、次のようなものでした。

「哲学とは、問題の共有である」

このことにについて、しばらく回数を分けてお話します。ストレートではなく、少し回り道をしながらの話になっていくと思います。


私がおもに研究しているジャンルは「西洋哲学」です。
その西洋哲学の歴史に引き寄せて考えてみると、西洋哲学が扱ってきた問題は時代を超えて、私たち一人一人の人生の根幹にかかわることといえます。

では、「私たち一人一人の人生の根幹にかかわること」とは何でしょうか。
例えば、バートランド・ラッセルは『哲学入門』の中で、次のように記しています。


「…私たちの精神生活にとって、もっとも深い関心を呼ぶものが含まれている。宇宙のあり方を決める一貫した計画や目的があるのか、それともただ原子が偶然集まっただけなのか。意識はいつまでも宇宙の一部であり続け、それ故どこまでも知識を育んでいくという希望を持って良いのか、それとも、いつかは生命が存在できなくなるはずの小さな惑星上に、たまたま生じたはかない存在に過ぎないのか。善悪は宇宙にとっても重要なのか、それとも人間にとってだけなのか。」
(バートランド・ラッセル『哲学入門』 高村訳、ちくま学芸文庫/189ページ)


あるいは、他にもあるだろう、という意見も当然あるかと思います。ただ、少なくとも上記のラッセルが述べているような問題・テーマについて、先人たちが積み重ねてきたということは言いえるのではないでしょうか。

こうした問題は普段あまり実感しないことかと知れませんが、いざ考え続けると、わたしたちが立ってする世界が崩れかねない、あるいは自分たちの足許にどんどん穴を掘っていくことにもなりかねないことでもあるかも知れません。

いわゆる哲学者・思想家とされる人たちは、こうした思索の歩みを重ねてきたわけです。その膨大な積み重ねこそ西洋哲学の歴史なのだと思います。


では、哲学者たちの膨大な思索の積み重ねの結果、先に挙げたようなラッセルが示した問題・テーマについて、哲学者たち、そして私たちは結論を得たのでしょうか。

(つづく)


*Written by A.KOBAYASHI